2016年06月23日
まだまだむかしのことじゃった。

軍隊を引き連れた不思議は、鬼が島に上陸して
摩訶とおじさんの住みかを包囲した。
するとまもなく美しい衣に身をまとった摩訶が
縁側に姿を現した。
摩訶と不思議は見つめ合い一瞬のうちに二人は
自分たちが同じ星の生まれだということを、否
同じ卵の生まれだということを悟った。
不思議は、兵隊たちをその場に残し無言で家の
中に入っていった。
しばらくするとおじさんが出てきて、皆にお茶
を振舞った。おじさんの頬にはいくつも涙の流
れた跡があったという。
兵隊に連れられ帰ってきたおじさんを、戸口ま
で出てきたおばさんは何も問いただすことなく
受け入れた。
思えば、おじさんが竹林で摩訶を見つけたあの
日におばさんも不思議の入っていた桃を見つけ
子供のなかった二人にはありがたい授US prepaid sim card かりもの
となるはずがなぜか大げんかになってしまい、
おじさんが摩訶を連れて家を出てからかれこれ
二十年近くもたっていた。
しばらくしておばさんがもう一度顔を見せて、
家の前で途方に暮れていた兵隊たちに元祖きび
だんごを振るまい家の中へと消えていった。
摩訶と不思議は、宇宙から来たわけでもなく、
実はおじさんのほんとの隠し子だった。それを
おじさんが知ったのは、摩訶を見つけてから十
年たった四月の一日、おじさんが出稼ぎをして
いた頃の愛人K子の手紙によってだった。
K子は名のある富豪に嫁ぐことになり、生んで
しまった双子をおじさんに見つけてもらうため
に、無理ならばせめて片方だけでも保護しても
らうために工夫しあんな演出をしたのだった。
切羽詰まっての行動だった。
その三日後おじさんは、もう一通K子から手紙
を受け取っていた。
『エイプリルフールの嘘ではありません。事実
です。K子』
K子には昔から妙なユーモアがあり、思わず吹
き出したおじさんだった。
Posted by wezabeqew at
15:38
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2016年06月13日
居場所。
1999年、アメリカに赴任になると聞き、「え!!!アフリカじゃなくてアメリカなの??!」とがっかりし、その年の5月18日に飛行機に乗りアメリカの首都ワシントンDCに初上陸した時のことは今でも思い出せる。なぜか哲も私も「アメリカ」に全く魅力を感じず、途上国の冒険的であろう生活に憧れを持っていたから、まさかその自分達がこんなにアメリカを好きになるなんて思ってもいなかBeauty Boxった。
赴任期間は2年4か月と短かったが、上陸したその日からアメリカを好きになり、2年もあればすっかり「アメリカかぶれ」し、母国に帰らず、アメリカに移住する計画を立てた若い私達だった。
「国」の中にいると見えないものも、良いところはもちろん、悪いところにも外に出ると気付けるようになる。アメリカかぶれしていた当初は、もちろんアメリカのいい加減な部分に憤慨することはあっても、アメリカの良さばかりが目について仕方なかった。その後は、ある時期は「母国贔屓に」ある時期は「アメリカ贔屓に」と何年か単位で気持ちが揺れる。そんな緩やかな気持ちのカーブの中でも、基本的にはアメリカの生活に大満足しており、もはやこの体と心は日本の生活に馴染めないだろう、、と確信していた。かと言って、生まれてから30年近く住んだ母国だから、一時帰国するともちろん数日で「日本ではこうする」という所作や考えが体に浸透するが、でもふと「あの生活」が恋しくなるのだ。
広い空、ゆったりとした空間、何も気にしなくても良い雰囲気、哲とハルとクルミと歩く道。
帰国した時都会の真ん中で迷子になったように感じた私は(←クリック)、外見は日本人であっても、中身はもう「日本人」では無いのかもしれない、、と感じた。私はこの場所に、ヴァNeo Derm Beauty Box ージニアに属しているのだ。ここが居心地が良い。そうなんだ。
日本を離れて16年が経とうとしている。心はいつでも家族のいる日本とつながり、例え自分が変化しているとしても、自分が日本人であることは一度たりとも忘れたことはない。でも、変化している私は、日本の文化についていけない時がもちろんあり、今まで当たり前と思っていた慣習や日本人らしさすらも疑問に思うようになって来ている。やっぱり私はここ、ヴァージニアの人間なんだ。
でも、本当にそうなのだろうか。本当はどこに属しているのだろうか。本当にここ、アメリカに根付いているのだろうか。
そんな風に疑い始めると、自分が太平洋の真ん中で宙ぶらりんになっているような気分になる。ゆらり ゆらり 揺れている。
そんな時、つい先日、アメリカから日本へ赴任したH Serviced apartment Causeway Bayさんから写真付きのメールが送られて来た。
彼女は関西で生まれ育ち、大人になってから渡米し在住していた。
だから関西とアメリカのことは知っていても「東京」のことは知らず、東京生活が始まることをとても不安がっていた。
新生活が始まり、元気そうな彼女からのメールを見て安心した。そしてそのメールは、太平洋の上に宙ぶらりんになってぶら下がっていた私の心に、錨をおろしたのだ。
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でも、本当にそうなのだろうか。本当はどこに属しているのだろうか。本当にここ、アメリカに根付いているのだろうか。
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Posted by wezabeqew at
15:55
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